救命救急の仕事をするには、どんな態度が必要か。鳥取大学医学部附属病院の高度救命救急センター看護師の宮脇貴浩さんは「私が救急集中治療室に異動後、体重200キロの引きこもりの男性が搬送されてきた。その彼から『しんどいから、殺してくれ』と言われこともあったが、歩いて病院を後にしていった。そのとき、この仕事に就く人間に求められるものを悟った」という――。

※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 18杯目』の一部を再編集したものです。

手術室の外科ベッドに横たわっている患者の顔
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介護士となった後、働きながら看護師免許を取得

車窓から広がる景色に上田敬博は言葉を失った。福岡県生まれの上田にとって熊本県は家族旅行で何度も訪れた思い出の場所だった。美しい阿蘇山の周囲の道が完全に破壊されていた。自分の大切にしていた記憶が破壊されたような気分になった。

2016年4月14日から16日にかけて、熊本県と大分県で相次いで地震が発生した。最大震度は、震度階級で最も大きい「7」。熊本地震である。

兵庫医科大学病院救命救急センターにいた上田は、震災直後の4月16日から2泊3日、その後、29日から兵庫県救護班の第2陣メンバーとして震災現場に入っている。

被害の大きさをまざまざと感じたのは2回目、南阿蘇村役場を中心に車で回ったときのことだった。そのとき、車に同乗していたのが、看護師の宮脇貴浩だった。

上田と宮脇が顔を合わせたのは、兵庫医科大の会議室だった。

「彼の所属はHCU。だから顔を見たこともない。誰っ? ていう感じでした。HCUで被災地に行きたいと手を挙げる人は珍しいなと思っていました」

HCUとは高度治療室を意味する。一般病棟と集中治療室の中間に位置し、準緊急治療室と呼ばれることもある。上田の所属する救命救急センターと比較すると緊急性、重篤性は低い。

被災地を回る車の中で、宮脇は上田に、介護士となった後、働きながら看護師免許を取得したのだと生い立ちを話した。やる気がある子なんや、と上田は好ましく思った。じっと車窓を眺める宮脇の横顔を見て、彼の中で何かスイッチが入ったような気もした。