長嶋茂雄は現役選手として人気絶頂のころ、新聞広告に出演したカルピスの創業者・三島海雲を「意外な理由」で慕っていた。ノンフィクションライター・山川徹さんの著書『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)より、一部を紹介しよう――。
インタビューに答える長嶋 巨人―大洋
写真=共同通信社
試合後、ヒーローインタビューに答える長嶋=1966(昭和41)年6月20日、後楽園球場

カルピス創業者・三島海雲とは

戦中から戦後にかけて三島海雲は、東京都江古田に暮らしている。十数年、江古田界隈に暮らした私は知人に頼んで三島を知る人を探してもらっていた。江古田でもきっと有名人だったのではないかと考えたのだ。

懇意にしていた寿司屋の大将から一報がもたらされたのは、2016年春のことである。大将は、常連の鳶職の親方が知っているはずだと話した。さっそく自宅アパートから徒歩で5分ほどの親方宅を訪ねた。

私の話を聞いた親方は「そこだよ」と数軒先に建つマンションを指さした。三島の再婚相手である琴の娘と孫が暮らしているという。なんと三島の遺族が近所に住んでいたのだ。

娘の牧子宛に手紙を書いた私に、三島の孫である寺田篤は「母は体調を崩していて、話をするのが難しいのですが、私でよければ」と祖父と祖母の思い出を語ってくれた。

寺田が生まれたのは1953(昭和28)年。三島が75歳だったころの孫だが、直接の血のつながりはない。祖母琴について聞くと寺田は次のように説明した。

「秋田県出身の祖母は、大曲市で代々漢方医を続ける高橋家に嫁いだそうです。高橋家は殿様に仕えた御殿医だったといいます。死別だったのか離婚だったのか理由は分かりませんが、祖母は2人の弟と一人娘をともなって上京した。苦労して娘と弟を育てたと聞きました」